スタッフインタビュー

  • 理学療法士インタビュー

 理学療法士:宮脇さん 
 前職:病院勤務 

理学療法士を目指したきっかけは?

この写真、何をしているかわかりますか。氷の壁を登っているのです。それをアイスクライミングというそうです。宮脇さんは、八ヶ岳をベースにハイシーズンは須坂にある100メートルの氷の壁(氷瀑)を登りにいくそうです。
そんな宮脇さんは、岐阜県に生まれ高校までを過ごしました。中学と高校ではソフトボールの強豪校でピッチャーとして活躍し、高1・2生の時には所属するソフトボール部がインターハイに出場したそうです。
練習に励んでいた宮脇さんは、高校2年生の時に足首の怪我をしました。その時のリハビリ治療で怪我が回復しました。進路を考えた時に、そのことを思い出して理学療法士の道に進もうと考えます。愛知県にある理学療法士学校に進学することを決めて、入学後は勉強と実習に没頭して知識と技術を習得しました。

理学療法士を目指したきっかけは?

山が好きすぎて病院をやめてイタリアへ

卒業と同時に岐阜に帰り病院で働くことになりました。その病院は、かなり田舎にあったので、時間があれば山にハイキングにいくようになりました。12年の間、仕事をしながら山登りをする日々を送っていました。そして、だんだんと北アルプスなどの本格的は山を登り始めるようになります。また、北アルプスの北鎌尾根というクライミングの技術がないといけない場所にも少しずつ登り始めるようになっていきます。
山が好きになり過ぎて、イタリアのドロミテでクライミングをしたい気持ちを抑えきれなくなりました。結局、病院を辞め1ヶ月間ドロミテに滞在し、クライミング漬けの充実した時間を過ごしました。
日本に戻って4年間、訪問看護の仕事に携わりました。その後、友人から山のガイドにならないかという話しがあって、東京のあきる野市に住むことになり、ガイドの試験の勉強を始めました。しかし、ガイドよりはクライミングやアイスクライミングを追求したいという想いが強くなり、ある登山家の「やりたいと思ったことをやってみることが大切」という言葉に影響を受けました。宮脇さんは今もそういう想いを大切に行動しています。

山が好きすぎて病院をやめてイタリアへ

あん訪問看護ステーションとの出会い

あきる野市から長野県、山梨県に通ってクライミングをするよりは、いっそのこと山に近いところに移住してクライミングをしたいという想いが強くなったそうです。そこで、自分のリハビリの技術を活かしながらクライミングができる移住先を探していたところ、あん訪問看護ステーションを知ったのです。
小さな頃、両親とも共稼ぎでの家庭で育った宮脇さんは、おじいちゃん、おばあちゃんに育てられたそうです。そういうこともあって訪問看護が自分に向いていると感じています。
茅野市には、自然好きな高齢者の方も多くいて、おじいちゃん、おばあちゃんに山の話をすると、「宮脇さんと話していると元気が出ると笑顔で言ってくれます。今日も、「大好きなおじいちゃん、おばあちゃんが、心も体も元気になってほしい という想いを持って訪問に出かけています。

あん訪問看護ステーションとの出会い

  • 看護師インタビュー

諏訪の看護専門学校で教員生活25年の経験がある昌子(まさこ)さんは、訪問看護の仕事を通して常に新しい発見をしているそうです。趣味は読書と歩くことで、諏訪湖の周りをよく歩くそうです。

伊藤さん紹介

 看護師:伊東昌子さん

看護師になろうと思ったきっかけ

昌子さんが看護師になろうと思ったきっかけは、「女性も手に職をつけなさい」とお母様から言われた言葉でした。また、兄と妹がいるので、自分だけは家族に迷惑をかけたくないという思いもあって学費のかからない看護学校で学んだのです。

看護学校の教員として

看護学校を卒業した昌子さんは、看護師として病院で10年間勤務した後に、看護専門学校の教員として働き始めました。基礎看護学・成人看護学を中心に教鞭をとり、実習は消化器外科・脳神経外科病棟・地域包括ケア病棟を中心に指導にあたったそうです。

昌子さんは日々学生と接する中で、「学生の成長を感じられ、教え子が看護師になった姿をみることが本当にうれしいと感じていました。 つい最近も、教え子の結婚式に出席する機会があって改めてうれしく感じたそうです。

今後、訪問看護を通してやっていきたいこと

訪問看護

教員の職を辞して、訪問看護の仕事をしようと思ったのには次のようなわけがありました。教員時代は、自分が裏方になって学生を通して看護をしていたけれど、昌子さんは自分で看護師をやりたかったのです。そして、実際に訪問看護の仕事をしてみると病院では経験のない新たな発見があり、容易ではないけれどやりがいがある仕事だと感じています。
例えば、医療保険・介護保険の具体的な中身などは、わかっていたつもりでも本当はわかっていない。利用者さんの家の人の考えを知り、「自分の思いと家族の思いが違う ということがわかった時や現場でのやりとりの中で大きな喜びと発見をしています。
昌子さんは、 「看護は生活を整えること」「在宅と病院では違いがある」「在宅看護で生活を整える」ことを実践しながら家族を支援していきたい と話してくれました。
常に学ぶ姿勢を忘れずに、チャレンジしていく姿は素敵です。教員生活25年の昌子さんの言葉には、一粒の葡萄のような深みがありました。
※あん訪問看護ステーションでは、伊東昌子さんのことを昌子(まさこ)さんと呼んでいます

  • 理学療法士インタビュー

 理学療法士:井上貴美子さん 
 前職:病院勤務 

理学療法士になったきっかけ

生まれは福岡県八女市です。中学校はバレー部に所属し、高校は進学クラスで勉強を中心に高校生活を楽しんでいました。高校1年までは寮生活。高2からは、原付の免許を取り片道20キロ、約40分の道のりをバイクで通学していました。

高校生の時におばあちゃんが骨折する出来事があり、そのまま入院してしまいました。手術ができなかったので、2~3週間ベッドの上で骨折した部分を引っ張った状態で寝たきりでした。お見舞いに行き介護をすると大好きなおばあちゃんがやせて弱々しくなっていて、その姿に心を痛めました。

しばらくして骨が安定してきたためリハビリが始まりました。おばあちゃんは楽しそうにリハビリの話をしてくれました。リハビリを始めてからおばあちゃんが元気になっていく姿をみて、私もこういう仕事に携わりたいと思うようになったのです。当時病院に勤務しているスタッフは全員が看護師だと思っていました。ところが、お見舞いに通ううちに様々な職種があることを知り、リハビリの道を志すようになりました。

そして高校卒業後、3年間リハビリの学校で学び、八女市の病院にリハビリスタッフとして勤務しました。

理学療法士になったキッカケは?

ドライブと山とスノボ

井上さんは学生時代に長崎、熊本、大分、鹿児島とドライブを楽しんだそうです。勤めてからは冬にスノボをやるようになり、毎週末広島まで滑りに行きました。現在は、休みの時は大好きな山に出かけます。北アルプスも縦走したことのある本格的な山ガールです。

今後、訪問看護を通してやっていきたいこと

訪問看護を始めたきっかけと茅野移住

そんな活動的な井上さんは、病院で勤務するよりもご自宅の生活の中で関われる訪問の仕事に魅力を感じ、訪問の仕事に携わるようになりました。都会に憧れもあり福岡市内の訪問看護ステーションに転職しました。しかし、自分には都会が合わないと感じるようになったのです。そして、徐々に自分が育ったような田舎に住みたいと思うようになりました。

夏場には、月に一度ほど、趣味の山登りで八ヶ岳や北アルプスのある長野県に来ていました。次第に、こんな素敵な山を見ながら過ごしてみたいと思うようになりました。山を登りながら全国を巡り自分にあう地を探していました。「やはり長野がいいな と思っていたところ、ハローワークであん訪問看護を知り、ホームページを見たのです。

理学療法士になったキッカケは?

喜びを感じる時とこれから

井上さんは、「利用者さんが自分でできることが増えた時、悩みが解決した時の笑顔を見ると嬉しさを感じます。訪問の仕事を通していろいろな方の人生に触れながら、私も様々な人生経験をしていきたい。茅野に来てきてまだ日が浅いので、まずはこの地になじむことから始めたい」と話してくれました。

今後、訪問看護を通してやっていきたいこと

  • 訪問看護師インタビュー

伊藤さんは、横浜出身で、中学、高校と陸上の短距離で活躍していました。中学の時は、全日本中学に、高校では400メートルリレーでインターハイに出場した経験があるガッツリ運動系女子です。大学では、運動はせずに、朝はコンビニ、夜には居酒屋でアルバイトをしていたそうです。趣味は映画観賞で、最近はご主人と「名探偵コナン」を観て楽しかったそうですよ。茅野に来てボルタリングもやったそうです。旦那さんがもともと茅野の方で、お子さんの進学に合わせて茅野に来ました。自然が多く子育てにはよい環境だと感じています。

伊藤さん紹介

 看護師:伊藤(友)さん 
 前職:病院勤務 

これまでの歩み

中学・高校と陸上にどっぷりつかっていて、将来に備えて、「何か資格を取りたい」と考えたそうです。そんな理由から看護師の仕事をしようと決めたそうです。大学病院を含めて6年間病院で勤務していました。病院では、回復期病棟を担当していました。訪問看護を始めた今、新たな知識や技術を身につけられるように日々勉強をしています。

訪問看護を始めたキッカケとこれから

伊藤さんは、お子さまの進学をきっかけに、6年間勤務をした病院を辞めて、旦那さんの故郷の茅野に引っ越してきました。それをきっかけに「あん訪問看護」に勤務し始めました。茅野は、自然豊かで子育てにはよい環境がそろっていて、保育園代も安いそうですよ。冬はちょっと寒いと感じています。子育ては、一緒に遊んでいる時が一番楽しいと感じているのですが、宿題をやらない時には、ちょっと叱るので、そういう時はつらいそうです。初めての経験となる訪問看護では、病院と違って患者さんと身近に接することが嬉しいそうです。これからは、もっと知識と技術を身につけて、コミュニケーションを大切にして患者さんと関わっていきたいと笑顔で話していました。

今後、訪問看護を通してやっていきたいこと

  • 訪問療法士インタビュー

三井さんは、新潟県の弥彦山近くで育ちました。弥彦山は、東京スカイツリーと同じ634メートル高さで、良寛さんでも有名です。そんな自然豊かな土地で育った三井さんは、自分の力で一人暮らしを始めたかったそうです。そして大学卒業と同時に東京都に引っ越しました。学生時代にNPO の活動を通じて知り合った旦那さんが茅野出身ということで、結婚を機に茅野で暮らすようになりました。高校時代、フィールドホッケーで国体準優勝の実績を持つことからわかるように、運動がとっても好きで、茅野に来てランニングとスキーを始めたそうです。

三井さん紹介

 理学療法士:三井望さん 
 前職:病院勤務 

理学療法士になったキッカケは

三井さんのお母様は、施設で看護師として働いていました。小さなころから母親が働く姿を見て育った三井さんは、自然に看護の仕事、人に接する仕事をしたいと思うようになっていました。大学は、新潟で理学療法士の勉強をしました。電車とバスで片道2時間の道のりを4年間通いました。「なぜ、看護師ではなく、理学療法士なのか?」と思いますよね。それは、もっと患者さんと接していたいと思うようになったからなのです。母親の仕事を見ていて、看護師よりも理学療法士の方が患者さんに接する時間が長いのではないかと思い、看護師ではなく理学療法士が向いていると考えて、理学療法士を選んだそうです。

あん訪問看護ステーションで仕事をするようになったキッカケは?

三井さんは、大学卒業後、東京の病院で3年間勤務したそうです。その後、結婚を機に茅野に移り住んで、病院で1年間嘱託として勤務しました。病院勤務が終わるころに、次の仕事をネットで探している時に、あんのホームページを見つけました。そのホームページで訪問看護の仕事内容、あんの職場の雰囲気、利用者さんとの良い関係を知り、それがきっかけであんで働くことになったのです。また、祖父の最期を看取れなかったのですが、その時の体験も訪問看護をするきっかけになりました。東京では、車をあまり運転したことがなかった三井さんですが、今では、車を一人で運転して1日3~4人の患者さんの訪問に行っています。

理学療法士になったキッカケは?

今後、訪問看護を通してやっていきたいこと

病院で勤務しているころに、家で転んで病院に運ばれてくる方が多くいたそうです。訪問を通して自分が患者さんにリハビリをすることで、家庭で怪我をする人を一人でもなくして少しでも長く家庭で家族と共に過ごしていただきたいと思っています。訪問看護では、直ぐにナースコールもできないし、医者も呼べません。そうした環境の中で自分の責任を果たして利用者さんの役に立ちたいと考えています。

今後、訪問看護を通してやっていきたいこと

  • 訪問看護師インタビュー

2人のお子さんを持ちながら働き、趣味は旅とイラストを描くことという看護師の永田さんにインタビューしました。

 看護師:永田さん 
 前職:病院勤務 

看護師になったキッカケは?

母が准看護師で看護そのものが身近にあったことと、趣味でもある旅行でモンゴルに行った時に、そのツアーに准看護師の知識が必要だったことです。

看護師になったキッカケは?

訪問看護を始めたキッカケは?

元島さんに誘われて始めました。

訪問看護師として働いてみてどうですか?

病院時代は、仲間がいて物品もそろっていてそんなに不満がなかったのですが、病院とは違う部分がたくさんあるのを感じたました。それと、病院時代にはできなかった一人の利用者さんに向き合っての時間をしっかりかけられます。このことも喜びに繋がっています。

訪問看護師として働いてみてどうですか?

訪問看護を始めてプライベートで変わったことは?

病院では勤務時間がきちんと決まっていて自由がないのですが、訪問看護の今は、移動時間に時々夕日をカメラに収めるなど、自由な時間があるのがうれしいですし、仕事にはストレスは感じず、毎日を充実して過ごせるようになりました。

訪問看護を始めてプライベートで変わったことは?

今後の目標や取り組みは?

今後は、利用者さんの人生に寄り添い、生き方を尊重し、利用者さんの家族も一体となってサポートしていきたいと考えています。家族の一員のようだけれども、利用者さんが意識しない、気付いたらいるような存在になりたいとう願いを持って仕事をしていきたいと思います。それと今は、仕事と子育てで忙しく、旅にはなかなか行けないのですが、もう一つの趣味のイラストでラインのオリジナルスタンプを作ろうと思っています。

今後の目標や取り組みは?

とても素敵な笑顔で応えてくれた永田さん。彼女にとって訪問看護という仕事は、ストレスがない充実した仕事になっているようです。

  • 訪問看護師インタビュー

鈴木さんは、高い専門的技術と知識を兼ね備えた看護師さんです。

 看護師:鈴木さん 
 前職:病院勤務 

看護師になったキッカケは?

小学生の頃に、漠然と、人に関わる仕事、具体的には介護士やリハビリの仕事をしたいと思っていたのですが、わたしは病院が嫌い、注射も嫌いだったので将来看護師になるとは思っていませんでした。そんな中、家にあった仕事図鑑を見ていた時に、看護師が人と関わる割合が高そうだと感じて、その後、父親からも人に関わる仕事を勧められたのもあり、進路を決めるために北里大学のオープンキャンパスに行った時、雰囲気がよくこの大学に行きたいと思いました。ちょうど高校に推薦枠もあったので、北里大学に入学を決め、大学で看護の勉強を始めました。

看護師になったキッカケは?

訪問看護を始めたキッカケは?

大学卒業後、5年間病院に勤務していました。病院では、点滴を付けて検査着で亡くなってゆく人をたくさん見たそうです。そんな折、鈴木さんのおじいちゃんが亡くなったそうです。おばあちゃんは、毎日おじいちゃんを病院で看病していました。「家でも看病できるのに、なぜ病院に毎日行かなければならないんだろう「なぜ、病院ではなく、長く生活していた家で生涯を終えられないんだろう」という疑問が私の中に生まれ、看護師になって5年目に先輩が訪問看護をするために病院を辞めることになったのを機に、先輩のつてで訪問看護の責任者に紹介を受け、訪問看護の仕事を知るようになりました。それから、どこの訪問看護がよいか、いろいろと探すようになりました。あん訪問看護に決めたのは、白衣ではなく、働きやすい仕事着を着ているところも魅力的だったからです。また、あん看護ステーションの先輩看護師の「私は、第三の家族になりたい」「近所のおばさんのような立ち位置で関わりたい」という言葉も決め手になりました。

訪問看護を始めたキッカケは?

今後、訪問看護を通してやっていきたいこと

看護師は、病院の依頼を受けて訪問にいくものですが、医療の知識のある人として、地域に普通にいる存在として関わっていきたいです。そういう身近な存在として自分が役に立てばよいと考えています。また、地域の人たちに訪問看護という地域医療があるというのを知ってもらいたいとも思っています。この地域には、いろいろな物、例えば野菜などを軽トラックで持ってきて売る、「軽トラ市」というのもあるので、そういう場を通して訪問看護を知ってもらい、広げていけたらいいな思っています(笑顔)。

今後、訪問看護を通してやっていきたいこと

中学、高校、大学と吹奏楽部でユーフォニウムを担当していたそうです。部員は、高校、大学時には70名を超え、大所帯だったゆえに演奏が息ぴったりと終わった時は感動が沸き上がってきたそうです。大学を卒業してからは、一人旅や山に登ることが趣味で、仕事もプライベートも充実しています。

  • 訪問療法士インタビュー

真面目でピュアな印象を受ける森上さんにインタビューしました。

 看護師:森上さん 
 前職:病院勤務 

作業療法士になったキッカケは?

高校の頃、大学受験を一緒に目指していた親友がいました。そして、二人とも志望していた同じ大学に合格しました。しかし、親友はある日突然「すい臓がん」の告知を受けたのです。それがキッカケで親友は、「うつ病」を発症しました。そして、親友の死を経験しました。そうした経験から専攻を「精神科領域」に決めて日々勉強に励みました。卒業後は、作業療法士として病院に勤務することになりました。

作業療法士になったキッカケは?

訪問看護を始めたキッカケは?

大学卒業後、病院に勤務していました。そこで、いろいろな経験をしました。入院患者さんが高齢となるケースで、すでに患者さんの両親がお亡くなりになっていたり、両親が高齢で患者さんである子どものケアをすることができなかったりすることもありました。また、家族が患者さんと離れている期間が長く、いまさら自分たちの生活を壊してまで受け入れることができないというケースもありました。そんな現実をどうすることもできないもどかしさ、悔しさを感じていました。家族だけではなく地域社会に受け皿がないことに、病院での仕事に限界を感じて悩む日々が続いていました。そこで、思い切って訪問看護の世界に入ろうと決意したのです。

訪問看護を通してやっていきたいこと

支援者の一人として患者さんを指導するのではなく、一緒に考えて行動することで患者さんを地域で支えていきたいという強い想いがあります。在宅で暮らしている方と一緒になって生きがいや楽しみを見つけていくお手伝いをし、「困った時に安心して相談できる存在になりたい」「これからも二人三脚で地域に貢献したい」と強い気持ちを持っています。

森上さんは運動が好きで、大学までいろいろなスポーツをやってきて、高校ではソフトテニスで県大会まで進むほどの腕前。あん訪問看護ステーションでは作業療法士として活躍しています。

  • 訪問療法士インタビュー

とてもまじめな感じを受ける濱上さんは、あん訪問看護ステーションでは作業療法士として働いています。

 作業療法士:濱上さん 
 前職:病院勤務 

訪問看護師になったキッカケは?

私はもともと、東京都の小平に住んでいて、年に何回も白樺湖にパラグライダーをしにきていました。結婚して子どもが小学校にあがった時に、「自然がいいところ住みたいね」と言ったのがきっかけで茅野に移り住んだのが始まりです。

訪問看護師になったキッカケは?

病院勤務時代はどんなことをされていましたか?

今から2~30年前、精神科がある病院の閉鎖病棟で勤務をしていました。 日々行動をしない利用者さんたちに、「何か楽しんでもらうことはないかな」と思って、ビーズ作りを実践したりしました。その結果、利用者さんたちはとても楽しく作業をしてくれました。料理を作ることにも挑戦もしましたね。自分で作ったものを食べる時の利用者さんたちが生き生きとして楽しんでもらえたことがとてもうれしかったことを覚えています。お金を使ったことがない利用者さんたちを、ドクターや臨床心理士と一緒に映画館に引率して映画もみたことも。そういう取り組みは時間がかかったけど、一つひとつを丁寧に積み重ねていき実現しました。そこにはわたしのまじめな性格が表れています。

病院勤務時代はどんなことをされていましたか?

訪問看護の取り組みは?

精神看護でいつも気にしているのは、病気のことを理解したうえで専門家として接するようにしているということです。例えば、一人ひとり症状が違うものの、共通して実践していることがあって、それは利用者さんと接している時には、しっかり話を聞き、無理に話しをしないと心がけることです。

訪問看護の取り組みは?

この仕事のやり甲斐は?

利用者さんはとても純粋で人間的に魅力のある人が多く、時間をかけて丁寧に関わっていくと、心を開いてくれていろいろと話をしてくれるようになります。そして、これから先、「担当利用者さんとどう関わっていくかを考えていくこと」にやりがいを感じていますね。

この仕事のやり甲斐は?

あん訪問看護ステーションに来てからも、丁寧な仕事で利用者さんから喜ばれているそうです。何より利用者さんといるのが好きという濱上さんの目からは、この仕事に対する真剣で熱く強い意志を感じました。

  • 訪問看護師インタビュー

高橋さんと話をしていると、「前向きでアグレッシブな人生を生きていて、自分に正直で人に対して優しい」という印象を受けました。

 看護師:高橋さん 
 前職:病院勤務 

准看護師になったキッカケは?

東京の新宿に住み、山のガイドをしながら生活をしていました。山のガイドをするきっかけはニュージーランドに行った時でした。ニュージーランドでは、大自然に触れ、登山を経験する中で、山に興味を持ちました。また、23歳の時にニュージーランド1862キロを自転車で一人旅もし、その旅で多くの人に出会い優しさや励ましを受けました。そして最後まで諦めないでやれば必ずやり遂げられることをその時実感しました。それがきっかけで、日本に帰って山のガイドをやるようになりました。山では日常に命の危険と隣り合わせで、急に気分が悪くなったり、ケガをしたりすることもあります。お客さんの命を守るために、看護師の資格をとって案内をした方が、自分もお客さんも安心して登山ができると考えて看護師になりました。

准看護師になったキッカケは?

訪問看護を始めたキッカケは?

山のガイドをやりながら、4年間、難病専門の病院でも働いていました。退院はありません。その病気は、ALSといって、身体の筋肉がだんだんと動かなくなるという病気です。脳ははっきりしているので、コミュニケーションはしっかりとれます。コミュニケーションは、動くところを使って画面で行います。例えば、指だけ動かせる人、瞼(まぶた)だけ動かせる人、そこを使ってパソコンで情報を取り込んで画面に映し出します。だんだんと病状が進んでいくと、心臓さえも動かなくなります。病院を出る時は、死ぬときです。どんな時でも私は患者さんに対して、一人の人間として尊厳をもって看護をしました。患者さんたちは、いつも「自宅へ帰りたい」と言っていました。しかし、いろいろな事情で帰れず、病院で息を引き取っていきます。そういう経験から、「在宅で看護をしたい」と思うようになったのです。そして、大好きな山と在宅医療がある茅野市に東京から移り住んできました。

訪問看護を始めたキッカケは?

今後、訪問看護を通してやっていきたいこと

私は祭りも大好きで阿波踊りを踊ることができます。諏訪には、たくさんの祭りがあります。今も福祉施設やお祭りで実際に踊っています。地域の活動を通して、みんなと一緒になって地域を盛り上げていきたいと考えています。そういう元気の源を持っているので訪問看護、地域活動をすれば諏訪がもっと元気になると感じました。「こころある看護」を目指して、これからも元気いっぱい活動していきたいです。

今後、訪問看護を通してやっていきたいこと

高橋さんは、山のガイドをしていました。そこではいろいろなことが起こるそうです。急に体調が悪くなったり、けがをしたり。高橋さんのツアーでは一度もありませんが、山では死ぬこともあります。山は命の危険と常に隣り合わせなのです。そこで、高橋さんは考えました。「看護師としての知識と経験を持ってガイドにあたれば、いろいろなケースに対応でき、安心して登山を楽しむことができると。

  • 訪問看護師インタビュー

明るく穏やかで笑顔が素敵な元島社長にインタビューしました。話し方も自然体で、誰からも好かれている印象を受ける方でした。

 社長:元島さん 
 前職:病院勤務 

看護師になったきっかけは何ですか?

姉が看護師だったことに影響を受けて看護師の道を選びました。

看護師になったきっかけは何ですか?

訪問看護を始めたキッカケは?

病院勤務の後、訪問看護師として働いていました。そのときに、姉が、医師、訪問看護師の支えでご家族の前で息を引き取りました。それをきっかけに、人生の最期を病院ではなく、自宅を選んだ患者さんが家族と一緒に過ごせるようにサポートしたい。家族の不安な気持ちや心配をしっかり受け止め、ご本人やご家族にしっかり寄り添っていきたい。そんな強い想いを持つようになり、その想いを実現したいと、自ら訪問看護ステーションを立ち上げました。

訪問看護を始めたキッカケは?

訪問看護ステーションを起ち上げてみてどうでしたか?

会社の立ち上げに際して「自ら苦労をしなければ事業はできない」と決断し、自分にストイックな課題を与えました。そして「自分が作る訪問看護の会社では自分が関わるスタッフさん、利用者さんがハッピーになれる組織を作りたい」と設立当初から考えていました。私自身も訪問看護師を続けたい想いもあり、今も現場に出て第一線で働いています。特に、現場では、根っからの明るいお話し好きの性格で、一軒一軒のお宅を訪問する度に利用者さんとおしゃべりをしています。利用者さんからはとても嬉しがられ頼りにされています。そのお話しの中で患者さんと楽しみを共有できたり、一緒に考えたことが実現できたりした時にとてもやりがいを感じています。また、精神訪問看護にも興味があり、あん訪問看護ステーションでは、精神看護専門の看護師さんもいます。訪問看護だけでなく精神訪問看護が充実していることもあん訪問看護ステーションの特徴の一つなんです。そうそう「あん」というのは、安心の「あん」なんですよ。

訪問看護ステーションを起ち上げてみてどうでしたか?

お忙しいでしょうがお休みの日とかは何をなされてるのですか?

黄檗弘風流(おうばくこうふうりゅう)のお茶と着物の着付けなんかが趣味です。あとは山登り、スノーボード(B級インストラクター スノーボードパトロールの資格を持っている)をしたりですかね。女性らしさとアクティブさの両方で過ごしています(笑

お忙しいでしょうがお休みの日とかは何をなされてるのですか?

今後の目標や取り組みは?

あん訪問看護ステーションでは、スタッフはみんな仲良く話をしていて、自ら仕事に前向きに取り組んでいます。今後もっと地域に認められ、安心して頼めて任せられる看護ステーションを目指していきたいと邁進しいています。また、自分たちの想いをもっと広げていきたいとも思っています。

今後の目標や取り組みは?

最後に元島社長にとって、人生で大切なことは何かと質問をすると、「大切な人と楽しく食事をすること」「笑うこと」「寝ること」「自分らしく生き続けること」と優しい笑顔で話してくれました。そんな元島社長と一緒に仕事をしているスタッフのみなさんは幸せそうでした。「自分らしく生き続けること」は、元島社長が仕事で大切にしている「利用者さんも自分らしい生き方を続ける」ことをサポートする訪問看護の仕事にしっかり生かされていて、飾らない自分の姿で仕事をしているのだなと感じました。元島社長は、「人生の最後を家族と一緒に過ごせるようにサポートしたい。家族の不安な気持ちや心配をしっかり受け止め、ご本人やご家族に寄り添っていきたい」という強い想いを訪問の現場で活かしています。今日も聴診器をかけて元気よく、「おばあちゃん、調子はどう?」と笑顔で話しかけながら、各家庭を回っています。

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