スタッフインタビュー

  • 訪問療法士インタビュー

三井さんは、新潟県の弥彦山近くで育ちました。弥彦山は、東京スカイツリーと同じ634メートル高さで、良寛さんでも有名です。そんな自然豊かな土地で育った三井さんは、自分の力で一人暮らしを始めたかったそうです。そして大学卒業と同時に東京都に引っ越しました。学生時代にNPO の活動を通じて知り合った旦那さんが茅野出身ということで、結婚を機に茅野で暮らすようになりました。高校時代、フィールドホッケーで国体準優勝の実績を持つことからわかるように、運動がとっても好きで、茅野に来てランニングとスキーを始めたそうです。

三井さん紹介

 理学療法士:三井望さん 
 前職:病院勤務 

理学療法士になったキッカケは

三井さんのお母様は、施設で看護師として働いていました。小さなころから母親が働く姿を見て育った三井さんは、自然に看護の仕事、人に接する仕事をしたいと思うようになっていました。大学は、新潟で理学療法士の勉強をしました。電車とバスで片道2時間の道のりを4年間通いました。「なぜ、看護師ではなく、理学療法士なのか?」と思いますよね。それは、もっと患者さんと接していたいと思うようになったからなのです。母親の仕事を見ていて、看護師よりも理学療法士の方が患者さんに接する時間が長いのではないかと思い、看護師ではなく理学療法士が向いていると考えて、理学療法士を選んだそうです。

あん訪問看護ステーションで仕事をするようになったキッカケは?

三井さんは、大学卒業後、東京の病院で3年間勤務したそうです。その後、結婚を機に茅野に移り住んで、病院で1年間嘱託として勤務しました。病院勤務が終わるころに、次の仕事をネットで探している時に、あんのホームページを見つけました。そのホームページで訪問看護の仕事内容、あんの職場の雰囲気、利用者さんとの良い関係を知り、それがきっかけであんで働くことになったのです。また、祖父の最期を看取れなかったのですが、その時の体験も訪問看護をするきっかけになりました。東京では、車をあまり運転したことがなかった三井さんですが、今では、車を一人で運転して1日3~4人の患者さんの訪問に行っています。

理学療法士になったキッカケは?

今後、訪問看護を通してやっていきたいこと

病院で勤務しているころに、家で転んで病院に運ばれてくる方が多くいたそうです。訪問を通して自分が患者さんにリハビリをすることで、家庭で怪我をする人を一人でもなくして少しでも長く家庭で家族と共に過ごしていただきたいと思っています。訪問看護では、直ぐにナースコールもできないし、医者も呼べません。そうした環境の中で自分の責任を果たして利用者さんの役に立ちたいと考えています。

今後、訪問看護を通してやっていきたいこと

  • 訪問看護師インタビュー

2人のお子さんを持ちながら働き、趣味は旅とイラストを描くことという看護師の永田さんにインタビューしました。

 看護師:永田さん 
 前職:病院勤務 

看護師になったキッカケは?

母が准看護師で看護そのものが身近にあったことと、趣味でもある旅行でモンゴルに行った時に、そのツアーに准看護師の知識が必要だったことです。

看護師になったキッカケは?

訪問看護を始めたキッカケは?

元島さんに誘われて始めました。

訪問看護師として働いてみてどうですか?

病院時代は、仲間がいて物品もそろっていてそんなに不満がなかったのですが、病院とは違う部分がたくさんあるのを感じたました。それと、病院時代にはできなかった一人の利用者さんに向き合っての時間をしっかりかけられます。このことも喜びに繋がっています。

訪問看護師として働いてみてどうですか?

訪問看護を始めてプライベートで変わったことは?

病院では勤務時間がきちんと決まっていて自由がないのですが、訪問看護の今は、移動時間に時々夕日をカメラに収めるなど、自由な時間があるのがうれしいですし、仕事にはストレスは感じず、毎日を充実して過ごせるようになりました。

訪問看護を始めてプライベートで変わったことは?

今後の目標や取り組みは?

今後は、利用者さんの人生に寄り添い、生き方を尊重し、利用者さんの家族も一体となってサポートしていきたいと考えています。家族の一員のようだけれども、利用者さんが意識しない、気付いたらいるような存在になりたいとう願いを持って仕事をしていきたいと思います。それと今は、仕事と子育てで忙しく、旅にはなかなか行けないのですが、もう一つの趣味のイラストでラインのオリジナルスタンプを作ろうと思っています。

今後の目標や取り組みは?

とても素敵な笑顔で応えてくれた永田さん。彼女にとって訪問看護という仕事は、ストレスがない充実した仕事になっているようです。

  • 訪問看護師インタビュー

進藤さんは、高い専門的技術と知識を兼ね備えた看護師さんです。

 看護師:進藤さん 
 前職:病院勤務 

看護師になったキッカケは?

小学生の頃に、漠然と、人に関わる仕事、具体的には介護士やリハビリの仕事をしたいと思っていたのですが、わたしは病院が嫌い、注射も嫌いだったので将来看護師になるとは思っていませんでした。そんな中、家にあった仕事図鑑を見ていた時に、看護師が人と関わる割合が高そうだと感じて、その後、父親からも人に関わる仕事を勧められたのもあり、進路を決めるために北里大学のオープンキャンパスに行った時、雰囲気がよくこの大学に行きたいと思いました。ちょうど高校に推薦枠もあったので、北里大学に入学を決め、大学で看護の勉強を始めました。

看護師になったキッカケは?

訪問看護を始めたキッカケは?

大学卒業後、5年間病院に勤務していました。病院では、点滴を付けて検査着で亡くなってゆく人をたくさん見たそうです。そんな折、鈴木さんのおじいちゃんが亡くなったそうです。おばあちゃんは、毎日おじいちゃんを病院で看病していました。「家でも看病できるのに、なぜ病院に毎日行かなければならないんだろう「なぜ、病院ではなく、長く生活していた家で生涯を終えられないんだろう」という疑問が私の中に生まれ、看護師になって5年目に先輩が訪問看護をするために病院を辞めることになったのを機に、先輩のつてで訪問看護の責任者に紹介を受け、訪問看護の仕事を知るようになりました。それから、どこの訪問看護がよいか、いろいろと探すようになりました。あん訪問看護に決めたのは、白衣ではなく、働きやすい仕事着を着ているところも魅力的だったからです。また、あん看護ステーションの先輩看護師の「私は、第三の家族になりたい」「近所のおばさんのような立ち位置で関わりたい」という言葉も決め手になりました。

訪問看護を始めたキッカケは?

今後、訪問看護を通してやっていきたいこと

看護師は、病院の依頼を受けて訪問にいくものですが、医療の知識のある人として、地域に普通にいる存在として関わっていきたいです。そういう身近な存在として自分が役に立てばよいと考えています。また、地域の人たちに訪問看護という地域医療があるというのを知ってもらいたいとも思っています。この地域には、いろいろな物、例えば野菜などを軽トラックで持ってきて売る、「軽トラ市」というのもあるので、そういう場を通して訪問看護を知ってもらい、広げていけたらいいな思っています(笑顔)。

今後、訪問看護を通してやっていきたいこと

中学、高校、大学と吹奏楽部でユーフォニウムを担当していたそうです。部員は、高校、大学時には70名を超え、大所帯だったゆえに演奏が息ぴったりと終わった時は感動が沸き上がってきたそうです。大学を卒業してからは、一人旅や山に登ることが趣味で、仕事もプライベートも充実しています。

  • 訪問療法士インタビュー

真面目でピュアな印象を受ける森上さんにインタビューしました。

 看護師:森上さん 
 前職:病院勤務 

作業療法士になったキッカケは?

高校の頃、大学受験を一緒に目指していた親友がいました。そして、二人とも志望していた同じ大学に合格しました。しかし、親友はある日突然「すい臓がん」の告知を受けたのです。それがキッカケで親友は、「うつ病」を発症しました。そして、親友の死を経験しました。そうした経験から専攻を「精神科領域」に決めて日々勉強に励みました。卒業後は、作業療法士として病院に勤務することになりました。

作業療法士になったキッカケは?

訪問看護を始めたキッカケは?

大学卒業後、病院に勤務していました。そこで、いろいろな経験をしました。入院患者さんが高齢となるケースで、すでに患者さんの両親がお亡くなりになっていたり、両親が高齢で患者さんである子どものケアをすることができなかったりすることもありました。また、家族が患者さんと離れている期間が長く、いまさら自分たちの生活を壊してまで受け入れることができないというケースもありました。そんな現実をどうすることもできないもどかしさ、悔しさを感じていました。家族だけではなく地域社会に受け皿がないことに、病院での仕事に限界を感じて悩む日々が続いていました。そこで、思い切って訪問看護の世界に入ろうと決意したのです。

訪問看護を通してやっていきたいこと

支援者の一人として患者さんを指導するのではなく、一緒に考えて行動することで患者さんを地域で支えていきたいという強い想いがあります。在宅で暮らしている方と一緒になって生きがいや楽しみを見つけていくお手伝いをし、「困った時に安心して相談できる存在になりたい」「これからも二人三脚で地域に貢献したい」と強い気持ちを持っています。

森上さんは運動が好きで、大学までいろいろなスポーツをやってきて、高校ではソフトテニスで県大会まで進むほどの腕前。あん訪問看護ステーションでは作業療法士として活躍しています。

  • 訪問看護師インタビュー

明るく穏やかで笑顔が素敵な元島社長にインタビューしました。話し方も自然体で、誰からも好かれている印象を受ける方でした。

 社長:元島さん 
 前職:病院勤務 

看護師になったきっかけは何ですか?

姉が看護師だったことに影響を受けて看護師の道を選びました。

看護師になったきっかけは何ですか?

訪問看護を始めたキッカケは?

病院勤務の後、訪問看護師として働いていました。そのときに、姉が、医師、訪問看護師の支えでご家族の前で息を引き取りました。それをきっかけに、人生の最期を病院ではなく、自宅を選んだ患者さんが家族と一緒に過ごせるようにサポートしたい。家族の不安な気持ちや心配をしっかり受け止め、ご本人やご家族にしっかり寄り添っていきたい。そんな強い想いを持つようになり、その想いを実現したいと、自ら訪問看護ステーションを立ち上げました。

訪問看護を始めたキッカケは?

訪問看護ステーションを起ち上げてみてどうでしたか?

会社の立ち上げに際して「自ら苦労をしなければ事業はできない」と決断し、自分にストイックな課題を与えました。そして「自分が作る訪問看護の会社では自分が関わるスタッフさん、利用者さんがハッピーになれる組織を作りたい」と設立当初から考えていました。私自身も訪問看護師を続けたい想いもあり、今も現場に出て第一線で働いています。特に、現場では、根っからの明るいお話し好きの性格で、一軒一軒のお宅を訪問する度に利用者さんとおしゃべりをしています。利用者さんからはとても嬉しがられ頼りにされています。そのお話しの中で患者さんと楽しみを共有できたり、一緒に考えたことが実現できたりした時にとてもやりがいを感じています。また、精神訪問看護にも興味があり、あん訪問看護ステーションでは、精神看護専門の看護師さんもいます。訪問看護だけでなく精神訪問看護が充実していることもあん訪問看護ステーションの特徴の一つなんです。そうそう「あん」というのは、安心の「あん」なんですよ。

訪問看護ステーションを起ち上げてみてどうでしたか?

お忙しいでしょうがお休みの日とかは何をなされてるのですか?

黄檗弘風流(おうばくこうふうりゅう)のお茶と着物の着付けなんかが趣味です。あとは山登り、スノーボード(B級インストラクター スノーボードパトロールの資格を持っている)をしたりですかね。女性らしさとアクティブさの両方で過ごしています(笑

お忙しいでしょうがお休みの日とかは何をなされてるのですか?

今後の目標や取り組みは?

あん訪問看護ステーションでは、スタッフはみんな仲良く話をしていて、自ら仕事に前向きに取り組んでいます。今後もっと地域に認められ、安心して頼めて任せられる看護ステーションを目指していきたいと邁進しいています。また、自分たちの想いをもっと広げていきたいとも思っています。

今後の目標や取り組みは?

最後に元島社長にとって、人生で大切なことは何かと質問をすると、「大切な人と楽しく食事をすること」「笑うこと」「寝ること」「自分らしく生き続けること」と優しい笑顔で話してくれました。そんな元島社長と一緒に仕事をしているスタッフのみなさんは幸せそうでした。「自分らしく生き続けること」は、元島社長が仕事で大切にしている「利用者さんも自分らしい生き方を続ける」ことをサポートする訪問看護の仕事にしっかり生かされていて、飾らない自分の姿で仕事をしているのだなと感じました。元島社長は、「人生の最後を家族と一緒に過ごせるようにサポートしたい。家族の不安な気持ちや心配をしっかり受け止め、ご本人やご家族に寄り添っていきたい」という強い想いを訪問の現場で活かしています。今日も聴診器をかけて元気よく、「おばあちゃん、調子はどう?」と笑顔で話しかけながら、各家庭を回っています。

  • 理学療法士インタビュー

理学療法士:牛山浩美さん 

牛山浩美さん

理学療法士になったきっかけは何ですか?

高校時代、祖母が脳出血で入院しリハビリを見学した事がきっかけで理学療法士という仕事を知りました。
祖母も入院当初は麻痺もあり立つこともできない状態でした。
この頃はリハビリという言葉は聞いたことはありましたが、どのような事をするのかいまいち分かっていませんでした。
一度だけベッドサイドでリハビリをしている所を見学させてもらい、立つこともままならなかった祖母が理学療法士の方の肩をかりながらも立っている姿を見て驚きつつも、祖母の笑顔と楽しそうにリハビリを受けている姿を見て私自身も嬉しくなりました。
退院する頃には杖なしでも歩けるようになり、学生ながら「リハビリってすごいな」と思いこの仕事に興味を持ち始めました。

 当時、将来は看護師か介護福祉士になりたいと思っており、施設や病院を何ヶ所か見学していました。
その時、施設と病院でリハビリをしている場面を見学させていただく機会があり、実際に理学療法士の方や患者さんからお話を聞く中で「私も誰かの役に立てるようになりたい、痛みをよくするだけじゃなくて患者さんの笑顔をたくさん見たい」という気持ちが徐々に強くなり理学療法士になろうと決意しました。

 学校を卒業してからは山梨の病院で働いていましたが、退院した患者さん達はどうしてるかな?自宅で元気に過ごせてるかな?とふと考える時がありました。その頃から訪問リハビリには興味はありましたが、訪問の経験がなかったため自分にできるのか自信がありませんでした。地元に戻ってからは整形外科クリニックで働いていましたが、患者さんの中にはリハビリを受けたくても体力面で通院できなくなった方や交通手段がなくなってしまい通えなくなってしまった方がたくさんいました。また、患者さんや家族の方から自宅での生活について相談を受ける中で、実際に自宅環境や動作が見られたらなと思うことが何度もあり、徐々に患者さん一人一人の生活場面・環境にあったリハビリがしたいという気持ちと、自宅でも安心して生活できるようにお手伝いがしたいという気持ちが強くなり転職を決めました。  あんを選んだ理由は、とても雰囲気がよくアットホームな職場だなと感じ、ここで在宅でのリハビリについて学びたいと思い決めました。

あん訪問看護ステーションで働くことになったきっかけ

学校を卒業してからは山梨の病院で働いていましたが、退院した患者さん達はどうしてるかな?自宅で元気に過ごせてるかな?とふと考える時がありました。
その頃から訪問リハビリには興味はありましたが、訪問の経験がなかったため自分にできるのか自信がありませんでした。
地元に戻ってからは整形外科クリニックで働いていましたが、患者さんの中にはリハビリを受けたくても体力面で通院できなくなった方や交通手段がなくなってしまい通えなくなってしまった方がたくさんいました。

また、患者さんや家族の方から自宅での生活について相談を受ける中で、実際に自宅環境や動作が見られたらなと思うことが何度もあり、徐々に患者さん一人一人の生活場面・環境にあったリハビリがしたいという気持ちと、自宅でも安心して生活できるようにお手伝いがしたいという気持ちが強くなり転職を決めました。
 あんを選んだ理由は、とても雰囲気がよくアットホームな職場だなと感じ、ここで在宅でのリハビリについて学びたいと思い決めました。

訪問看護を通して今後やっていきたいこと

自宅での生活は利用者さんだけでなくご家族の方々も不安な部分がたくさんあると思います。
あんで働き始めて1年経ちますが、「今までできなかったことができるようになった、前は歩くのもやっとだったのに今はすいすい歩けるようになったよ、痛みが楽になってきたから家族とも旅行に行けてすごく楽しかった。」と嬉しい報告をたくさん聞き、私も嬉しく思うと共に、利用者さんやご家族の方の笑顔にいつも元気をもらっています。

 今後も利用者さんの生活場面・環境に合わせたリハビリをするだけでなく、利用者さんやご家族の方の悩みや不安が少しでも減らせるよう、一緒に悩み解決していけたらと思います。
そして、安心して自分らしく生活を送ることができるようにお手伝いをしていきたいと思っています。

  • 看護師インタビュー

看護師:北原孝美さん 

北原孝美さん

看護師になったきっかけは何ですか?

私は生まれも育ちも諏訪地域で、幼少のころから「諏訪をでて、自立した生活をしてみたい」と思っていました。
その為には手に職を持とうというのが、私の進路選択の根底にありました。
ただ、父から「女の子なんだから、そんなに遠くにいっちゃいかん!」という、私の考えを見透かしたような助言もあり、しぶしぶ諏訪地域の看護専門学校に進学しました。

ただ、振り返ると、保育園の頃から将来なりたい職業に「看護師」と書いています。
私の母は本当は看護師になりたかったそうです。
母は私の性格を見透かして、幼少頃から看護師になるようにそーっと助言をくれていたのかもしれません。
ちなみに、その母ですが、私が自立したあと、自分のなりたかった職業に再び挑戦すべく、ヘルパーになり、その後介護福祉士に合格しました。今でもとても尊敬しています。

あん訪問看護ステーションで働くことになったきっかけ

看護学生の頃から、なんとなく在宅看護に興味があり、退院支援に一番関わることが出来る内科病棟で勤務しました。
その後異動でICUに勤務しましたが、急性期の看護は私にはあわなくて、転職を考えた時、幼少からの思いを叶えるべく、思い切って横浜の訪問看護ステーションに再就職しました。
考え方、地域性、何もかも違う中で、「その人らしく生活できるのは、やっぱり自宅なんだ」と感じることが出来ました。
その後在宅看護を極めるべく、介護支援専門員(ケアマネ)の資格をとりました。

結婚を期に諏訪に帰ってきて、地元の病院に再就職するのですが、丁度介護保険の過渡期で、ケアマネとして仕事をしてみるよう勧められ、そこから子供が小学校を卒業するまで約12年間ケアマネとして勤務しました。
その後病棟に戻るのですが、やっぱり在宅看護がしたいと思い、あんにお世話になることになりました。
あんを選んだ理由は、ケアマネとして精神疾患を抱える患者の生きずらさを傍で感じ、それをどのように支えればいいのか、当時から悩みながら支援をしていました。多重課題を抱える家族も多く、精神訪問看護について学びたいと思い転職を決めました。

訪問看護を通して今後やっていきたいこと

一旦諏訪をでた私ですが、出てみてはじめて諏訪地域の住みやすさ、人の温かさを発見しました。
  また、茅野市周辺地域の、在宅医療を支える行政や医療機関、在宅サービスのすばらしさに、日々感動しています。
私は長年「その人らしく、生きるお手伝い」をしたいと思って、この仕事をしていますが、この地域には同じ志を持つ仲間がとてもたくさんいると感じています。
仲間と協力しながら在宅で1日でも長く、本人らしく暮らせるお手伝いをしたいと思っています。

訪問看護は、看護師として私たちが医療の知識をお伝えしているのですが、生活に関しては人生の先輩から学ぶことは多いです。
今晩の夕ごはんの献立の相談から、どうやったら家庭菜園の野菜が択さん取れるのか、日々色々な学びを皆さまからいただいています。お互い様の精神で訪問させて頂ければうれしいです。

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